サボテンの花が咲いた
二年前ぐらいから育てているサボテンの一つに少し前から赤い実がついていたのですが、何かいまいち分からずとりあえず放置していて、今日外出先から戻ったら赤い実が可愛い小さな花になっていました。水ではなく蕾だったようです。
あと外に放置していたヒヤシンスも蕾を沢山湛えていました。母が水やりしてくれていたようですが正直あまり期待していなかったので、驚きました。
チューリップも葉の先が少し枯れてはいますがぼちぼち育っています。
心安らぎます。癒しと幸せを齎してくれる存在であることを忘れてしまうことすらあるというのに、優しい存在であると思いました。
人間が良いように利用しているだけにも関わらず微笑みかけて僅かな期待に、期待以上に答えてくれる。なんて優しいのでしょう。
人より優っている。人がおそろしく、少し愚かに、おそろしく愚かに、どうしようもない存在であるからこその愛おしさもありはしても、その愛おしさに疎ましささえ感じてきた私ですから、感動しました。
米津玄師の曲でサンタマリアという曲があり、とても好きな曲だったのですが、あまり良くない別れ方をした元恋人の影響で聴き始めた曲だったのでしばらくの間、全くと言って良いほど聴いていませんでした。
しかし近頃、色んなものを許していこうと決め、家族としてのあり方について考えるようになってから、よく頭の中で流れてくるようになりました。
サンタマリアの歌詞の中にサボテンが出てくるのですが、この歌詞の中ではサボテンは触れてはいけない、触れられない問題の比喩としての役割を果たしているように私は考えていました。
ここは面会室(適度な距離感、踏み越えられない人と人とのライン)サボテンはまだ咲かない ガラスは崩れない(良い意味でも悪い意味でも問題には触れずにいるためその問題が解決することはない)
という風に歌詞を解釈していたので、私もなんとなくサボテンはそのようなものなのだとかんがえていたのですがあ、なんともまぁ、粋な計らいをしてくれたというか。
しかし、はぁ、今日遊びに出かけてほぼ無一文のようなものになってしまったし
服をカードで買って寧ろマイナスというか
まぁ仕方ないかなという気もします。
しばらく服は控えようと思っていた矢先でしたから自分の無計画さを憎たらしく思ったりもしましたが、付き合いもありますから、これで最後だと思って、今年また買うのでしょうけど、高い買い物ですが、自分を許してあげたいと思います。なんの楽しみもない人生の中に価値を見出せるほど出来た人間ではないのであれですが、いつかそうなれたら良いです。
母の独り言はほぼ無くなりました
父はサンタマリアの歌詞の中に生きているようです
弟は、立派な大人になりましたが、脆い部分があるので受け入れられないでいるように思います
私は、どうなるのでしょう
当たり前のことをやっているだけなのですから
仕事からの現実逃避なのだと思うのです。
私は死にたいという思いを捨てきれません。捨てると楽でしょうが、失うものがあると思います。自殺をしたいと思います。そんな思いも捨てる必要ないと、思うので、許していこうと思うのです。
このような人格、人間になったのは、なるべくしてなったのですから。
いつまでこのプラス思考擬きのようなものが続くのかわかりません。もしかしたら次の仕事で決壊していくかもしれません
恐ろしいです。もう嫌です。怖いです。人の醜いと考えられている感情をぶつけられるのが堪らなく恐ろしいです。
仕事用の服を買いました。
下着もだいぶ減ったので新しいものを購入したいと考えています。
仕事のためです。何がしたいんでしょうか
自分がわかりません。